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うるま市

石 川 市

位置

 沖縄本島中部の東海岸、太平洋を臨み、那覇市の北東約32kmに位置する。本島の東西間がわずか4kmのくびれの部分にあたる。市の北部には、標高204mの石川岳があり、山麓は傾斜面から台地へ移行し、その端は沖積低地へと続いている。市街地の北には石川川が流れ、河口付近にはマングローブ林を見ることができる。

歴史

 市域では9つの遺跡が確認されている。その中の一つ、伊波貝塚は沖縄の縄文式系文化の存在を決定的にした貝塚で国指定の史跡となっている。

 伊波城跡、伊波後原遺跡などからは炭化米や炭化麦が発見され、この時代にすでに稲作麦作が営まれていた。鉄の使用、外来品も多く出土しており、外部との交易があったことをうかがわせる。

 市域は琉球王府時代には越来間切に含まれたが1672年までにすべての村が美里間切に編入された。1766年、石川と渡口部落が一つになり、字石川村となった。市町村制により美里村(現沖縄市)が成立した。第二次世界大戦まで美里村政下の農村部落であった。沖縄戦終戦後、米軍により中央政治機構「沖縄諮諭会」が設置され、一躍、沖縄群島の政治、経済、文化の中心地となり、石川市が成立した。

特産品

・育切りみかん、赤肉メロン、ラン、伊波メンサー、山芋、山城茶

伝統行事

・キリシタンチョー

 毎年旧暦1110日に行われる。前年の1111日からその年の1110日までの1年間に生まれた子供の誕生と健康を祝う行事で山城区と嘉手苅区で行われている。これは島津侵入後、近世を通じて行われてきたキリシタン宗門改めの遺制と考えられている。

(市の花)サンダンカ、(市の木)クロキ

具志川市

位置

 沖縄本島中部東海岸、那覇から北に25kmに位置する。市の北東部は金武湾に南東部は中城湾に面している。市の大部分は平坦な台地と低地からなっている。

歴史

 市域には按司時代の城跡が多く残っており、中頭地方の古くからの拠点であった。18世紀初頭から首里の貧窮士族が移り住み集落化が進み、屋取(ヤードウイ)と呼ばれる。伝統的な村とは異質のもので近世から明治初期まで多く形成された。その後、経済的に豊かになり、1941年にはサトウキビ生産高が県下一にまでなった。

 戦後一時期は基地経済で活況を呈した。その後、1968年に市制が施行された。

特産品

・菊、泡盛、春ウコン、製紙、イグサ、サトウキビ、ぬち陶器、命マース(ギネスブック登録)

伝統行事

・エイサー(各地)

・具志川のウスデーク

・田場のテインベー(古武術のひとつ)

・江洲の獅子舞

・天願の獅子舞

・栄野比の招群盛旗

(市の花)菊、(市の木)リュウキュウコクタン、(市の花木)サルスベリ、(市の鳥)チヤーン

与那城町

位置

 那覇市から約32km、沖縄本島中部東海岸に位置し、太平洋に突き出た与勝半島の北半分と4つの島(薮地・平安座・宮城・伊計)からなっており、これらの島々と半島部の町域は海中道路や橋によって結ばれている。

 地形は本島部が丘陵地と海岸低地、薮地・伊計島が平地、平安座・宮城島が台地をなし、海岸は本島部から平安座島にかけて遠浅の干潟になっている。

歴史

 与那城町域には先史遺跡が12カ所、グスクが5カ所確認されている。12世紀ごろ、勝連に出現した勝連按司により、支配下におかれた。勝連按司10代目の阿麻和利の支配下で全盛期を迎えた。17世紀初頭から国頭の東海岸に生活必需品を供給し、木材や炭などを南部に運ぶためにサバ二を数隻組んだテーサン舟が活躍するようになった。平安座島を中継地とし、南部の与那原港に往来した。

 明治41年の市町村施行で与那城間切から与那城村になり、1994年に町制に移行した。

特産品

・イグサ、黄金芋、葉タバコ

伝統行事

・平安座のサングヮチャー

 旧暦33日〜5日に行われる平安座の龍宮祭。浜下りには平安座島の東に浮かぶ小島「なんざ」でニライカナイの神々に五穀豊穣と大漁を祈願する。

・エイサー(各地)

・ハーリー

 旧暦54日前後の日曜日に、屋慶名、平安座・桃原・伊計の各字で行われる。

(町の花)ツワブキ、(町の木)クヮディーサー、(町の花木)ユウナ、(町の魚)タマン、(町の鳥)ベニアジサシ

勝 連 町

位置

 沖縄本島中部の東海岸、中城湾と金武湾の間にある勝連半島の南西半分と浜比嘉島、浮原島、南浮原島、津堅島からなる。

 地形は半島部分は中城湾に面した南西側が急斜面で北東部に向かっておだやかな斜面をなしている。津堅島は平坦な島で、浜比嘉島は台地状で起伏に富んでいる。

歴史

 先史時代の遺跡は51カ所確認されている。遺跡は半島側では南側に多く、津堅島では海岸部に点在、浜比嘉島には洞穴内遺跡が多い。

 勝連按司10代目・阿麻和利の時代になると勝連は最盛期を迎える。徳之島や奄美大島、さらに中国や朝鮮との交流も盛んに行われていた。こうした中、中城との間に交易権問題があったらしく、中城城主・護佐丸と争いがおこり、後に中山軍に滅ぼされた。勝連間切は明治41年市町村制の施行で勝連村となり、1980年に町制に移行した。

特産品

・トラバーチン(石)、津堅島のにんじん、モズク、イカの墨漬け、イカのウニ漬け、キャロットゼリー

伝統行事

・津堅島の唐踊り

 旧暦7月の4日間、ウスデークの直後に行われる。踊り手は男性のみ。

・旧盆

・平敷屋のエイサー

 旧暦715日ウークイ(盆の送り目)に、行われる。静かで力強いエイサーで、気迫が伝わる。

(町の花)アリアケカズラ、(町の木)クスノキ、(町の花木)ホウオウボク