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今帰仁村

位置

 沖縄本島の北部、東シナ海に突き出た本部半島の北岸と古宇利島からなる。

 地形は南に高く北に低くなっている。南側の山地は2754mの乙羽岳(オトワダケ)を主峰として本部半島の骨格をなしている。標高50m以下の広い海成段丘は、かなり浸食され、砂浜もあるが断崖絶壁もあるという複雑な地形をなしている。

 古宇利島は隆起サンゴ礁の島で、村域は全体に北に開けた地形で、冬の季節風の影響を受けやすいため、村落や耕地のいたるところに防風林をめぐらしている。

歴史

 村内では先史時代の遺跡が12カ所、グスク時代の遺跡が6カ所確認されている。先史時代の遺跡のほとんどは海岸沿いに、グスク時代のものは内陸部で発見された。14世紀前半の沖縄本島では三山(南山・中山・北山)の勢力が対立し、北山は今帰仁城を構え勢力を拡大していた。伊江島や伊平屋島などを含む金武以北を手中におさめていた。14世紀後半から15世紀初頭にかけては明とも交易し、力を蓄えていた。しかし、1416年に北山王撃安知(ハンアンチ)は尚巴志の攻撃をうけ滅ぼされた。尚巴志は北山地域支配のために次男・尚忠を派遣した。以後3世紀にわたり北部統治の要となる。1908年今帰仁間切から今帰仁村になった。また、1916年には役場を運天から仲宗根に移転している。

 第一次世界大戦後の不況時に、村民の多くが生活の活路を県外出稼ぎや海外移民に求め、この地を離れていった。1935年には人口の10%が南米やフィリピンなど海外に移住した。

 沖縄戦のときには運天港が標的にされ、激しい空襲をうけた。米軍駐屯後は軍病院の建設準備のため、一字が焼き払われるということもあった。その後、農業を中心に発展し、現在では県内でも有数の農業先進自治体である。

特産品

・スイカ、花井、パイナップル、泡盛、わらび細工

伝統行事

・古宇利島のウンジヤミ

 旧暦7月お盆の後、最初の亥の目に行われる。豊年予祝の祭りで神女たちが行うシラサと呼ばれる儀礼が特徴とされている。

・豊年祭(各字ごとに行われる)

(村の花)ハイビスカス、(村の木)リュウキュウマツ、(村の鳥)サンコウチョウ、(村の魚)ツノダシ