本文へジャンプ
トップ
沖縄情報
大宜味村
観 る
遊 ぶ
食べる
作 る
買い物
楽しむ
泊まる

大宜味村

位置

 沖縄本島北部西海岸の一角をしめ、北東は国頭村、東と南は東村、南西は名護市に接する。村の全面積の70%が山地におおわれ、山原(やんぼる)の名にふさわしい土地条件をもった村である。山のほとんどが標高300m級の峰々で沖縄の山地としては第一級の高度をもつ。河川は豊富な雨量による流量で無数の谷を刻んだため、段丘の地形には起伏が多くある。村内の地形が険しいため、塩屋の地峡などをのぞいては東西の交通路は細い山道しかなかった。また、海岸を通る南北の交通はさらに困難で日常の往来はサバニによることが多かった。現在は道路が整備され、東西あるいは、南北の行き来も縦横無尽である。

歴史

 村にはグスク時代の遺跡、謝名城・喜如嘉城・津波城・石グスクなどが点在している。このうち、謝名城は13世紀末から14世紀の遺跡で城あとからは土器や陶磁器などが多く出土し、周辺には同時期の集落跡も確認されている。また、近くの河口付近が港として利用され、交易船が出入りしていたことをうかがわせるおもろさうしのうたも残っている。現在の大宜味村域は1673年に新設された田港間切に編入され、17世紀末には大宜味間切と改称された。この頃、首里王府は島津の専売品であった鬱金(うこん)の作付けを大宜味に義務づけた。

 第二次世界大戦では大きな被害は受けなかったが戦争末期には本島中南部からの避難民でごったがえした。外地からの引き上げがはじまると、人口は12000人に達した。この頃八重山開拓移民が募集され、多くの人が石垣市や西表島に移住した。本土復帰の1972年には村の新庁舎が完成した。農業を中心に発展、芭蕉布の里、長寿の村としても名高い。特産品

・芭蕉布、シークヮーサー、泡盛、焼き物、木工芸品、しいたけ、マンゴー、真鯛

伝統行事

・ウンジヤミ(海神祭)

16字のうち、11の字で旧暦7月盆明けの亥の目に行われている。字によって行事の内容は異なるが、海の彼方、ニライカナイの神を迎えてノロ以下の神女たちが神遊びをし、海や山の幸、村の繁栄を祈願する。

(村の花)シークヮーサー、(村の木)シークヮーサー、(村の鳥)メジロ